昨日は、よみうりホールで登壇させていただきました。
その件については、後ほど詳しく書かせていただきますが…。
実は、第2部のパネルディスカッションの
途中で鼻血を出して退出してしまい意見を言えませんでした。
とても残念だったので、ここに少し書いてみたいと思っています。
「掛け算なんかいらない」「○○の教科はいらない」
その気持ちも、とってもよくわかります。
その件については、後ほど詳しく書かせていただきますが…。
実は、第2部のパネルディスカッションの
途中で鼻血を出して退出してしまい意見を言えませんでした。
とても残念だったので、ここに少し書いてみたいと思っています。
「掛け算なんかいらない」「○○の教科はいらない」
その気持ちも、とってもよくわかります。
ですが、実は、私は勉強する必要がないとは思っていません。
学習と勉強という言葉に分けて考えると、
教科についての勉強は「学習」だと思いますが、
その「学習」も必要なこともあるのだと思っています。
例えば、掛け算。
どういうことかというと、
幼稚園の時にパティシエになりたかった子がいて、
小学校で勉強をしないで、すぐにパティシエの専門学校に通わないのはなんでだろうと考えた時。
幼稚園の時にパティシエになりたかった子がいて、
小学校で勉強をしないで、すぐにパティシエの専門学校に通わないのはなんでだろうと考えた時。
小学校1年生で、ひらがなを習い、人の伝えたいことを知ることができるようになって、自分の思いを伝えられるようになる。それを知ることができます。
それは、ひらがなを学習するのではなく、ひらがなを通して様々なことを学んでいるのではないかと思うのです。
小学校二年生の時に、掛け算を学びます。掛け算を覚えることばかりに目が向いてしまいますが、それは、様々な算数の基礎ということばかりでなく、掛け算という物事の考え方を知ることに意味があります。
様々な発想が、足し算的発想もあれば、掛け算的発想もある。それを学習をとおしながら、体験して身に着けているのだと思います。
実は、そうやって伝えたいなと思っていた時に、鼻血が出てきてしまってとても辛い気持ちでした。
物事のとらえ方が画一的になって、多様な視点で見られるかどうかは、人生に影響をすると感じています。
ただ、知識のためだけの学習はやり方は色々なので、やり方自体が問題だと思うことは多々あります。
子どもたちが嫌いになるようなやり方を先生が押し付けているのだとすれば、もったいないことだなと思います。
そんなことを話そうと思っていたのに、鼻血。
少し残念でしたが、こうやってブログを通して伝えようと書きました。
ではまた次回!
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佐藤夢奏でした。
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